「 木灰 」
                                                                 鈴 木 庸 生

火鉢に木炭を燃すと木灰が残る。 多い場合は燃した炭の四-五%になる。
木灰の主成分はカリウム塩類、ことに炭酸カリウムと炭酸カルシウムである。
木灰を水で浸出すると炭酸カリウムが水に溶けて出て、アルカリ性の液が出来る。 即ち俗に灰汁(あく)と云うものである。この灰汁を使用して昔はお洗濯をしたものであったが、近代に至って石鹸や洗濯ソーダの様な重宝な物が出現したから次第に灰汁の使用が止まったのである。

明治の初めまでは桶の底に近い部分に呑口をつけ、其中へ藁をつめたものが各家庭には欠くべからざる道具であった。その桶の中に木灰を入れて水をかけると灰汁が呑口の藁を通って出て来る。 それが藁の為に濾過されて清澄な液となって滴下する。 これを集めて置てこの中へ洗濯物を漬けて洗濯をするのである。 炭酸カリウムのアルカリ性の為めにいくら多くの油垢がついていても綺麗に垢がとれる事は、恰も石鹸や洗濯ソーダを用いたと同様である。

それから蕨を湯がいて灰汁の中に暫くつけて置くか又はこれをまな板の上に乗せて其の上へ木灰をかけて暫く置けば蕨の苦味は綺麗に抜けるのである。

昔は灰買と云う者が居った。此れは木灰を買ひ集めて歩くものである。 灰を買入れる時に少しなめて見てそのアルカリ性の多少に依って価値を定めて買って歩く。中々熟練したものだ。この買集めた灰はどうするかと言うと藍瓶を立てる為に使用するのである。 昔は藍染又は紺を染めるのに青藍<=インジコ>を用いずに藍の植物を用いた。即ち藍の植物(蓼科の一種)の葉を乾かしてそれに水を吹きかけ、醗酵させて臼でついて藍玉と云うものを造りそれを用いたものである。 染物屋を一般に紺屋と言った。紺屋へ行くと藍を立てる大きな瓶(かめ)が並んで地に埋めてある。その瓶の中へ木灰と石灰を入れそれに藍玉を加へ、 それにうどん粉或は緑礬<ロクバン>(硫酸第一鉄)を加へて水を入れ長く置く。そうすると藍玉の内に含まれている青藍はうどん粉を入れた場合には醗酵に依り、青礬を入れる場合には第ニ鉄塩に変する事に依り還元して白藍となる。 そうして液中には木灰中の炭酸カリウムと石灰とで苛性カリが出来る。 この苛性カリ溶液中へ生成した白藍が溶けて初めて藍が立つのである。この液注へ染めるべき糸を浸して空気に曝さないで初めて青藍を繊維の上に生じて青色に染まる。 これを幾度も繰り返せば遂に上紺が染め上るのである。 木灰の大口の需要はこの紺屋であった。

現在では木灰は農村に於いてカリ肥料のたしに使われる以外には格別の用途がなく、都会地では皆庭園の隅か道路のわきに捨てられる有様だ。 しかし海外よりカリ塩類の輸入がないとなれば木灰程都合のよいカリ塩類の資源はないのである。 灰汁を蒸発すれば遂に狂沸をする様になる。その時に一旦冷却すれば硫酸カリウの結晶を析出する。この結晶を集めて再結晶をすれば殆ど純粋な硫酸カリウムが得られる。その母液を蒸発させて液の上面に結晶が浮遊するようになって却すれば、塩化カリウムの結晶が出来る。これも再結晶を行えば殆ど純粋な塩化カリウムが得られる。その母液を蒸発乾固させて得たものは粗製炭酸カリウムであるが有機物の存在する為に茶色をしている。それでこれを少し鍋の中で熱すると有機物は皆燃え去って純白の粗製炭酸カリウムが出来るし、苛性カリやその他のカリ塩類も出来るし誠に重宝な物である。

木灰は今述べた様な簡単な操作でカリ塩類の源となるから、ことにカリ塩類欠乏の世の中でころを起業すれば利益を得る事は必然である。先の日独戦争時代にはドイツよりカリ塩類の輸入が止まったので木灰を利用してカリ石鹸を作ったり、苛性カリ、塩酸カリ等を造って随分利益を得ると同時に国家に尽くした人もあったが、今日の困難の際に当たってこの資源を利用しようと企てる人は一人もなく、皆袖手傍観の体で東京全市だけでも毎日数千貫<約20トン>の木灰が廃棄されて行くのを見送っている。アア!
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